こんにちは。
池田市石橋のお絵描き教室「コド」の宮本です。
僕には2人の子どもがいます。
子どもを預かる仕事を選択し、最近本当に思う事があります。
それは、子どもの教育の事です。
本日は僕自身の教育論を少し語らさせてもらいたいと思います。
芸術論ではなく教育論です。
僕が子どもに携わる仕事を選択した理由の一つとして、親の教育・しつけなどによって子どもの性格が変わる恐れがあるという事を知ったからです。
僕らが子どものころは、悪い事をしたときに叩かれるのは当たり前な時代でした。
げんこつやお尻を叩くなどといった行いは教育的体罰で、子どもを育てるうえでは愛のムチとして許されているものでした。(僕の家では)
僕も大人になってから、子どもに対して教育上、必要な時に手を挙げる事は肯定的でした。
そんな僕を変えた1冊の本がありました。
その本によると体罰は小さな子ども達にとっては、自分の2倍くらい大きい人に叩かれるという恐怖、それは僕ら大人が思う以上に恐ろしいもので、
そしてその教育的体罰は脳に影響を与え、問題行動につながると書いてありました。
良い方向へと導きたいが故の愛のムチが、逆に問題行動へと繋がるとは思っていもいませんでした。
そして、自身の性格で嫌いな部分、それがもし、親の愛のムチによって形成されたものだとしたら、それはとても悲しい事だと思いました。
その事実を沢山の方と共有しよう。そして、僕の子どもを含め、これからの子ども達みんなに、僕みたいな大人になってほしくない!と思い、子どもにまつわる仕事をしようと思いました。
それからは、
良い親であり続けなければ。
優しい親であり続けなければ。
良い親を演じなければ。
優しい親を演じなければ。
その思いは日々強まり、思いが強くなりすぎて、それでも応えてくれない子どもに苛立ちを感じ怒っている自分がいました。
それに気が付いた時にハッと我に返りました。
良い親という呪縛が僕自身を生きづらくし、そして子どもに悪影響を与えている。
それに気が付いた時、以前テレビでみた事を思い出しました。
それは内村航平の親の教育論についての内容です。
「子どもを許し、やりたい事をさせる」
怒る事もなく、子どもの意見を常に尊重し続けるというものでした。
その先入観もあり、自身もそうあらねばならない。とどこかでそう思っていたところがありました。
けど、その時思ったのですが、
僕は自分の子どもを「内村航平」にしたいわけではなくて、子どもが自分らしく楽しく生きていければそれでいい。と思っていたはずなのに、子どもを見ずにテレビの教育方法を意識しすぎていました。
完璧な子どもを育てたいんじゃない。
子どもが自分で少しずつ大人になれるように育てたい。
そう思うようになってからは、ダメだと思った事は注意し、それでもだめな時は怒る事も増えました。けど、その分、後から仲直りしてきちんと気持ちを伝えるようになりました。
怒ってしまった分だけ、愛情を注いでカバーするようにしています。
僕自身が未熟だからこそ、未熟さを受け入れて、無理をしないように、大人になろうとしている大人のカッコ悪いところをすべて子どもに見せていこうと思っています。
未熟な僕が無理をして、結果的に双方にとって良くない方向に行くのであれば、
肩の力を抜いて、自然体で子どもと向き合おうと思いました。
少し長々と語ってしまいましたが、今はそんな感じで子どもと向き合っています。
お絵描き教室としては、月曜日から新しく2人の子どもが入会してくれました。
その時の授業につきましては、また改めてブログを書きたいと思います。
今回のブログは少し自身の考えを語らさせていただきました。
ありがとうございました!
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